国府台城1

千葉県市川市にある国府台城。京成線国府台駅または北総線矢切駅から徒歩20分と都心からも近い場所にあるこの城は、城そのものよりも「国府台合戦」の古戦場として有名です。

江戸川の河岸段丘に築かれており、対岸は東京都です。城の上から眺めると川の向こうにスカイツリーが見え、この地が武蔵を狙う重要拠点に位置することがよくわかります。国府台の名前の通り、かつては下総国の国府が置かれており、歴史的にもこの地域の要衝でした。

国府台城2
 
築城時期は諸説あるようですが、城址のある里見公園の説明板によると、1478年、扇谷上杉家の家宰太田道灌が千葉氏の後継者争いに介入した際に、この地に仮の陣城を築いたのが始まりとのこと。

そして、1538年と1564年の2度に渡り、「国府台合戦」と呼ばれる大規模な戦いがこの地で繰り広げられました。


古河公方-北条家と小弓公方-里見家の戦い


2度の合戦は全く別のもので、1538年の第一次国府台合戦は、相模の小田原から武蔵の江戸まで進出してきた北条氏綱と、下総・上総に勢力を拡大していた小弓公方足利義明が戦った合戦です。

国府台城3

小弓公方(おゆみくぼう)というのはあまり知られていませんが、古河公方足利家の内紛から足利義明が独立して、現在の千葉市おゆみ野にある小弓城を拠点に、自ら「公方」を名乗ったものです。

第一次国府台合戦に至る経緯は複雑で真相はよくわかりませんが、古河公方と小弓公方の対立が、古河公方を支持する北条氏綱と、小弓公方を支持する里見義堯による代理戦争に発展した、とも言えますが、下総に進出したい北条家と上総に進出したい里見家がそれぞれ大義名分として公方家の対立を利用した、とも言えそうです。

国府台城7
 
ともあれ、江戸川を挟んで、西岸に北条氏綱・氏康・長綱(氏綱の弟。のちの幻庵)、東岸の国府台に足利義明・里見義堯ら小弓公方の軍勢が対峙します。

足利義明は血気盛んな人物だったようで、江戸川を渡河中の北条軍を叩くべきという里見義堯の進言を退け、あえて渡河させたうえで国府台において両軍が正面衝突しました。

しかし、自ら先頭を切って突撃した足利義明はあっさり討ち取られてしまい、小弓公方軍は崩壊。元々小弓公方と心中するつもりもなかった里見義堯は即座に戦線離脱し、空白地となった上総でせっせと勢力を拡大。久留里城や大多喜城をどさくさに紛れて奪取しています。

北条家はこの勝利により下総にも勢力を拡大。国府台一帯も勢力下に収めます。ある意味小弓公方とその一味が消滅することで、北条家にとっても里見家にとってもメリットのある戦いでした。

国府台城8

関東の覇権を狙う北条氏康と里見義弘の戦い



そして、26年後の1564年。第二次国府台合戦が起こります。

この時期になると関東の情勢は、1561年に上杉謙信が小田原城を攻撃し、その後鶴岡八幡宮にて関東管領に就任。関東進出が激しさを増しており、関東の諸勢力は上杉謙信に付くか北条氏康に付くかで揺れ動いていました。

里見家は上杉と同盟を結んで北条に対抗するスタンスを貫いており、上杉謙信の関東出兵に合わせて、後方攪乱や食糧調達などで助力していました。

国府台城4
 
1563年、上杉方の太田資正が城代を務める武蔵松山城が北条氏康・武田信玄連合軍の攻撃を受けて陥落。さらに江戸城代の太田康資が北条から上杉に寝返りを試みるも発覚し、太田資正の元に逃亡。危機に陥った太田資正・太田康資を救援するために里見義弘が1万2000の軍勢で下総から武蔵に侵攻すべく国府台に陣を張ります。


北条氏康&北条綱成が得意とする夜襲で大勝


これに対抗して北条氏康・北条綱成らは2万の軍勢で江戸川の対岸に布陣し、第一次国府台合戦と同様に江戸川を挟んで睨み合う形となります。

緒戦では先行して渡河した北条方の軍勢を破り、里見方が優勢でしたが、油断したところを北条氏康&北条綱成の本隊が夜襲をかけて、国府台の里見義弘の軍勢を壊滅させます。里見家は重臣の正木信茂をはじめ5000人が討ち死にする損害を受けて退却します。
(河越夜戦でも北条氏康&北条綱成のコンビで大勝していますが、何か夜襲の特殊なテクニックを持っていたのでしょうか、、)

国府台城5

里見公園にわずかに残る国府台城の遺構



現在の国府台城は里見公園という公園になっており、城址として保存されているわけではないので、言われなければ城とわからないぐらいのレベルですが、江戸川の河川敷から見ると、典型的な河岸段丘の崖になっており、その佇まいは一目で城とわかります。

しかしながら、国府台城は小田原攻めの後関東に入封した徳川家康によって廃城となっているため、遺構そのものはわかりづらく、一応説明板はあるのですが、細かい縄張りなどは全く不明。随所に土塁や石垣の痕跡のようなものは散見されますが、国府台城のものなのかどうかははっきりしません。

国府台城6

「里見広次ならびに里見軍将士亡霊の碑」という江戸時代に作られた供養塔が、かつてここが国府台城だった数少ない痕跡のひとつとなっています。

≪関連情報≫

里見公園の旅行ガイド(トリップアドバイザー)
国府台城址としてではなく公園としての口コミ中心です。

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