茶臼山1

大河ドラマでもおなじみの真田丸は、大阪城南面の防御陣地として築かれましたが、大坂冬の陣の後破却。続く大坂夏の陣で真田幸村が陣を構えたのが茶臼山です。

大坂冬の陣では家康の本陣だったこの地を、真田幸村が武田流の築城術で再構築した、という話を何かの番組で見ました。たしか奈良大学の千田先生だったと思います。茶臼山の側面に武田流の丸馬出し(敵の攻撃を避けながら騎馬が出撃するためのゲート)があったそうです。

茶臼山2

真田幸村が陣を張った茶臼山


現在の茶臼山はあべのハルカスのお膝元、天王寺駅からすぐの天王寺公園内にあります。徳川方目線で南からアプローチすると堀のような池があり、その先にあるこんもりとした小山が茶臼山です。

それほど大きな山ではないので、何千人もの兵士がここに駐留できたのかはわかりませんが、周りが平地なので小山とは言えそれなりに陣地として機能しそうです。

現在は特に何も残っていないのですが、気分を盛り上げる演出として旗指物(というかノボリ)と案内板だけはありました。

↓案内板の絵心がすごすぎ。。
茶臼山3

南から迫ってくる徳川軍に対して、四天王寺に陣を置いた毛利勝永とともに突撃、獅子奮迅の働きを見せます。

真田幸村は茶臼山に籠って、敵を十分に引きつけてから一気に攻撃に転じる作戦だったが、毛利勝永が先走ってしまったために仕方なく茶臼山から出撃した、という話がありますが、毛利勝永を描いた小説「獅子は死せず」では逆に真田幸村の露払いのために先行した的なことが書いてあった記憶があります。(読み返したわけではないので違ってたらすみません)


真田幸村、安居神社で力尽きる


いずれにしても結果としては敗走し、最後は茶臼山の北にある安居神社で戦死したと伝えられています。茶臼山から南に突撃したはずなので、南側のどこかで力尽きたイメージを勝手に持っていたのですが、北側で力尽きたということは大阪城に撤退しようとしていたのかもしれません。

茶臼山5

現在安居神社はめちゃめちゃ普通の住宅地の中にポツリとあります。最近造られたと思われる真田幸村像がなんだかシュールでした。。

茶臼山6

帰りに見かけた「天王寺茶臼山郵便局」の文字づらにちょっとおおっと思いました。歴史の舞台って感じがするよね!

天王寺公園の地図や大阪の観光情報はこちらから。

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