平井城1

群馬県藤岡市にある平井城。現在はほぼ何も残っておらず、ただの住宅地ですが、室町時代の一時期にはここが関東管領の拠点となっていました。

関東管領は山内上杉氏。室町時代初期には幕府から任命された鎌倉公方を補佐し、権勢を誇っていましたが、その後公方と対立。鎌倉から古河に追いやり古河公方と呼ばれるようになります。

平井城2
 
1400年代後半からは同族の扇谷上杉氏とも対立し、山内上杉氏、扇谷上杉氏、古河公方足利氏が入り乱れてグチャグチャに。その混乱に乗じて、駿河から伊勢宗瑞(北条早雲)が関東に侵攻。小田原を拠点に勢力を拡大します。(このあたりは司馬遼太郎「箱根の坂」で詳しく書かれています)

さすがにこれはヤバイと気づいた山内上杉氏の上杉憲政は扇谷上杉氏と和睦、古河公方とも連合して、北条綱成が守る河越城を包囲しますが、援軍に来た北条氏康に河越夜戦でボコボコにされてしまいます。


ついに平井城落城。上杉憲政は越後へ


そこからは完全に落ち目の上杉憲政。北条氏康から攻められまくり、1552年に平井城は落城。憲政は越後の長尾景虎の元に逃げ込みます。

平井城4

その後平井城には北条幻庵が入りますが、1560年の景虎の関東遠征で平井城を奪還。それを記念してなのか何なのか、意図がよくわからないのですが、「上杉謙信公奪還回復の城跡」という碑が立ってました。地元の人の気持ちとして、上杉憲政の城とは言いたくないので、あえて謙信公をアピールしてるのかなあ。。
 
ちなみに奪還後、景虎は拠点を厩橋城に移し、平井城は廃城となりました。平井城にとってみれば、奪還されてよかったんだか悪かったんだか。

平井城7
 

中途半端な公園化がなんとも微妙



現在は藤岡市が公園整備していて、土塁などが復元されていますが、いかんせん何も残っていないので、せめての賑やかしで幟だけはガンガン立っていました。ただ、無理やり公園化している感は否めず、想像力豊かな歴史ファン以外がわざわざ訪れることはなさそう。この日も人っ子一人いませんでした。。

平井城3
 
上の絵図のとおり平井城は川を背にした崖の上に立っているので、ある程度の防御力はありそうですが、現在の姿だけを見るかぎり、関東管領の城というほどの規模感は感じられず、なおかつ崖じゃないほうからの攻撃にはかなり弱そうなので、籠城戦で守りきれるイメージがあまり湧きません。

平井城5
 
その代わりすぐ近くにある金山城が有事の際の詰城だったようです。こちらは本格的な山城で、麓までは行ってみたものの、ガッツリ登山っぽいので登るのは断念しました。

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