八王子城4

東京都八王子市にある八王子城。日本百名城のひとつです。

八王子城は北条氏政の弟・北条氏照の居城ですが、元々は同じ八王子市にある滝山城を拠点としていました。しかし1568年、小仏峠を越えて侵攻してきた武田家家臣・小山田信茂の軍勢に攻められ、落城寸前まで追い詰められます。この時はどうにか守り切るものの、滝山城では防衛力が不十分ということがわかり、新たな防衛拠点として八王子城が築城されました。平山城の滝山城に対して、八王子城は急峻な山間部に建てられた山城です。

八王子城1

北条氏照が八王子城に拠点を移したのは1587年頃と言われていますが、八王子市のホームページでも指摘されているように、この時期すでに城と言えば天守を構えた平城、平山城に移行しているにも関わらず、今さら山城に移るのは時代の流れに逆行しているようです。


戦国後期に築城された軍事拠点としての城


だからといって氏照の発想が時代遅れというわけではなく、北条家の防衛思想では小田原城を本城とした支城のネットワークを重視しているので、その意味では八王子城も政庁というよりは、あくまでも小田原の支城であって、有事の際の要塞としての機能に特化していたんだろうと想像されます。

八王子城2

しかし、だったらそれを生かして欲しかったなあ~というのが、1590年豊臣秀吉の小田原攻めです。この時小田原城に主力を集結させる方針を取っており、八王子城主の北条氏照をはじめ精鋭部隊は小田原城に駆り出されていました。残された城代、婦女子、近隣農民ら3000人で急増の守備隊が編成されますが、北条氏邦の鉢形城を落とした前田利家・上杉景勝・真田昌幸のオールスター軍団1万5000人に攻められ落城します。

この時北条氏照の正室をはじめ婦女子たちは降伏をよしとせず次々に滝に身を投げて自ら命を絶ちました。そのため下流では川の水が三日三晩血で赤く染まったという伝説も残ります。


八王子城の落城により本城・小田原城も降伏



鉢形城、八王子城と主要な拠点の陥落の報を聞き、結局小田原城では戦闘らしい戦闘もなく降伏を決めますが、それでは何のために主力を小田原城に集めたのかわかりません。氏邦は野戦を主張したそうですが、結局採用されず主力を温存してひたすら籠城という消極的な方針に。なぜ妻子を各城に残してきたのかもよくわかりません。

小田原評定という言葉もあるとおり、きっと北条家の意思決定は合議制だったんでしょう。それはそれで先進的ですが、有事の際には煮え切らない判断になりがちなのもしれません。

八王子城3

八王子城は山城ですが、山賊の砦みたいな山城とは規模が違い、山全体が城になっています。ふもとの川沿いには氏照や家臣たちの居館がある曲輪があり、急峻な山の上には籠城用の曲輪が築かれていました。戦国時代初期の土塁主体の山城とは異なり、随所に石垣が組まれているのが特徴で、「ネオ山城」という雰囲気です。

現在建物は残っていませんが、城門や橋などは復元されており、当時の様子がイメージしやすくなっています。ちなみに籠城用の曲輪はがっつり山登りなので見学は断念しました。

八王子城の地図や周辺の観光情報はこちらから。

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