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愛媛県今治市にある今治城。日本百名城にも選定されていますが、堀に瀬戸内海から海水が引かれたいわゆる海城で、日本三大水城の一つでもあります。ちなみに日本三大水城とは今治城(愛媛県)、高松城(香川県)、中津城(大分県)だそうです。 


海につながっている堀にはなんとサメの姿も


堀を一見するかぎり海とは繋がっているようには見えないのですが、今治港のあたりから海水が引かれているようで、2015年には「堀にサメが泳いでる!」と話題になりました。堀に凶暴なサメがいたら鉄壁の守りだなあとか思ったのですが、人に危害を与えるサメではないようです。もともとサメはともかく、海の魚が回遊していることは知られていて、黒鯛(チヌ)なんかもいるそうですが、釣りは禁止されているようなのであしからず。

今治城の築城は1602年。加藤清正や黒田官兵衛と並んで築城の名手と言われた藤堂高虎によって建てられました。


藤堂高虎は羽柴秀長の家臣として四国攻めに参加



なぜ藤堂高虎が今治城なのかというと、時代は1585年の豊臣秀吉の四国攻めに遡ります。1582年の本能寺の変のあと、翌1583年に賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を下し、1584年に小牧長久手の戦いで徳川家康と和解した豊臣秀吉が、翌1585年長宗我部元親が支配する四国に向けて領土拡大を始めます。

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この時の総大将は秀吉の弟、羽柴秀長です。藤堂高虎は秀長の家臣として四国攻めに参加、阿波方面に侵攻します。同時に、伊予では今治から小早川隆景率いる毛利家の大軍が上陸、讃岐には宇喜多秀家、蜂須賀正勝、黒田官兵衛、仙石秀久らが上陸し、三方から長宗我部元親が本陣を置いた白地城を追い込み降伏に至ります。


小早川隆景の転封により藤堂高虎が伊予に


この結果、長宗我部元親は土佐一国のみ安堵、阿波は蜂須賀家政(正勝の子)、讃岐は仙石秀久、伊予は小早川隆景の領地となりました。

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その後九州攻めでの功績により、小早川隆景は筑前筑後に移封加増となり、空いた伊予の地を宇和島・藤堂高虎、松山・加藤嘉明などに与えられました。藤堂高虎は当初は宇和島のみでしたが、関ヶ原の戦いで東軍として軍功をあげ、今治も加増。この時期に今治城が建築されることになります。

現在の今治城は天守は復元(丹波亀山城に移築されたと伝わる)ですが、高い石垣と巨大な堀は健在で、高虎の築城の名手ぶりをうかがうことができます。 おそらく鉄砲の射程距離を意識したと思われる堀の幅が印象的でした。

今治城の地図や周辺の観光情報はこちらから。

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