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埼玉県行田市にある忍城。関東七名城のひとつで、石田三成による水攻めで有名です。何でも「三大」というのもどうかと思いますが、Wikipediaによると、備中高松城、紀州太田城と並んで、日本三大水攻めの一つだそうです。

忍城は成田氏の居城で、上野との国境に近いことから、大勢力の狭間でついたり離れたりで生き残りを図ってきました。築城は1478年。当初は山内上杉氏に仕えていましたが、1546年の河越夜戦により勢力が衰えると北条氏康に従います。

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1560年に越後の上杉謙信が関東侵攻を始めると上杉方に付きますが、その後離反。1563年に上杉謙信に攻められて降伏します。しかし、1569年に上杉と北条間で同盟が結ばれると、国境の取り決めから忍城は正式に北条方に属することになります。 


前田利家・上杉景勝ら戦国オールスター軍団の侵攻


そして1590年、豊臣秀吉の小田原攻めが始まると、上野に前田利家らの北陸連合軍が侵攻してきます。

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1590年5月14日から鉢形城への攻撃が開始。鉢形城落城後、6月16日に石田三成を大将、長束正家を副将として忍城攻めが開始されます。大谷吉継や真田幸村も参加しており、さらに元雑賀衆の当主・鈴木重朝も攻撃に参加しています。 

前田利家や上杉景勝の主力部隊は北条氏邦の鉢形城攻略の後、同じく一門の北条氏照の八王子城攻略に向かっているようなので、忍城は文吏派にも手柄を立てさせようという消化試合的なニュアンスだったのかもしれません。

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突然の城主の病死により「のぼう」が指揮官に



この時忍城の城主・成田氏長は北条家の戦略に従い小田原城に召集されており、叔父の成田泰季が城代でしたが、開戦直後に病死したため、その子の成田長親(氏長の従兄弟)が指揮をとることになりました。この人物が映画「のぼうの城」でも知られる「のぼう」です。

忍城が守りが固いことを悟った石田三成は城の周囲に全長25kmにも渡る堤防を作り、利根川の水を引いて水攻めを行いますが、守備方の破壊工作と大雨により決壊。逆に味方に被害を出す失態を演じます。この時の堤防は石田堤と呼ばれ、現在も遺構が残っています。

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結局7月5日に忍城より先に小田原城が降伏し、最後の一城となった忍城でも戦闘は終結します。この戦いでは城主・成田氏長の娘である甲斐姫が自ら鎧を纏って戦ったという逸話もあり、講談的な面白さはありますが、何と言っても石田三成と長束正家がお粗末だっただけのような気がして、手放しではエキサイトできません。

北条家滅亡後は徳川家康が関東入り、忍城は家康の四男・松平忠吉の城となります。 ちなみに明治4年には3か月だけ「忍県」があったというトリビアも。

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現在の忍城はすべて再建で戦国時代の面影はほとんどありませんが、「水城公園」という公園の名前が往時をしのばせます。かつては忍城の周辺は沼地だったそうですが、今は普通に行田の市街地なので、なぜそれほど攻めづらい城だったのかちょっとイメージしづらいものがあります。

忍城の地図や周辺の観光情報はこちらから。

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