DSC06653

神奈川県小田原市にある小田原城。言わずと知れた難攻不落の城で日本百名城にも選定されています。

小田原城は元は大森氏の居城でしたが、1495年に北条早雲が奪い、以降北条氏綱、北条氏康、北条氏政、北条氏直と5代に渡って北条家の本拠地となりました。


上杉謙信・武田信玄両雄の攻撃を守り切る


1561年には上杉謙信が11万の大軍で小田原城を包囲するも攻め落とせず、1569年には武田信玄に攻められますが、やはり落とせず撤退します。上杉謙信の場合は鶴岡八幡宮での関東管領就任式が本来の目的だったり、武田信玄は撤退後三増峠の戦いで北条軍を破ったりしているので、必ずしも小田原城のおかげで撃退した、というわけでもないとは思いますが、結果的に難攻不落の小田原城の名を天下に知らしめました。

DSC06650

小田原城と言えば総構えです。総構えとは城下町も含めた市街地一帯を堀や城壁で囲んだ城の構造で、ヨーロッパや中東、中国などの都市では一般的な構造です。例えば、中国の西安は全長14kmの城壁で街全体を囲んでいます。小田原城の総構えは西安には及びませんが、全長9kmの空堀と土塁で街全体が守られています。

現在の小田原城址公園は本丸と二の丸のみなので、なぜ難攻不落の城だったのか実感がわきませんが、小田原城が平城ではなく平山城だったということを知ると、その巨大さに改めて驚かされます。

DSC06655

戦国時代には現在の小田原城本丸の裏手にある八幡山を詰城としていました。現在は高校になっているのですが、その八幡山から相模湾の海岸までが総構えとして囲まれていました。


豊臣秀吉の小田原攻めでは精鋭5万で籠城



これだけ広大な城なので兵力が少ないと逆に防御が手薄になりそうですが、北条家もそこはわかっていて、1590年の豊臣秀吉の小田原攻めの際には関東各地から精鋭5万を小田原に集結させて抗戦します。

素人目にも精鋭5万が難攻不落の小田原に籠城して食糧も十分にあるとすれば、豊臣秀吉軍20万をもってしても攻め落とすことは不可能だったのではないかと思います。

DSC06664

豊臣方も食糧は十分あって、連日石垣山城で茶会を開いていたという逸話もありますが、現場の兵卒においては食糧不足が深刻だったということもしばしば指摘されるところなので、長期戦になれば豊臣方が瓦解する可能性も十分あったように思います。

また、豊臣方の連合軍も一枚岩ではなく、特に北条氏直と姻戚関係にある徳川家康の動向は終始警戒されていました。家康は服従姿勢を徹底していましたが、本音ではスキあらばと考えていたことは間違いないと思います。

DSC06651

もしも家康が叛旗を翻したら、伊達政宗やその他日和見の東北大名が秀吉に味方し続けるとも思えないので、1590年代に関ヶ原のような東西衝突が発生したかもしれませんが、一方見方を変えると、国土が荒廃する前に早々に降伏を決めた北条家は英断だったとも言えそうです。

小田原城の地図や周辺の観光情報はこちらから。

小田原城の旅行ガイド(トリップアドバイザー)
全国的に有名なお城だけあってアツいレビューが多数。泊りがけで行くなら、複数の宿泊予約サイトの最安値を調べる機能も便利です。

なるほど秘湯の宿である。
歴史スポットめぐりの際はぜひ秘湯とセットで。1泊するとスタンプを一つ押してもらえ、10個貯まると1泊無料宿泊できる「日本秘湯を守る会」のお宿ガイドです。