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岐阜県恵那市岩村町にある岩村城。高取城、備中松山城と並び日本三大山城の1つで、日本100名城にも選定されています。

岩村城は東洋のマチュピチュとも称される石垣の要害として知られ、本丸の標高が日本の城で最も高所にあるので、まさに「天空の城」と言っても過言ではありません。兵庫県の竹田城が天空の城として一世を風靡しましたが、何かきっかけがあれば岩村城だってブレイクの可能性は十分あります。実際見てみると、思わずおおっと言ってしまうぐらい衝撃が強いビジュアルです。


大勢力の狭間で繰り広げられた波乱万丈の歴史



築城は鎌倉時代と言われ、代々遠山氏がこの地を治めてきました。南北朝時代以降は土岐氏が美濃の守護となりますが、戦国時代には土岐氏は弱体化し、斎藤道三が美濃を支配していました。

そんななか、岩村城を含む東美濃は遠山一族が独立勢力として、美濃の斎藤家や尾張の織田家と連携し、大勢力の間で一定のパワーバランスが保たれていました。しかし1555年、信濃の大部分を手中に収めた武田信玄が東美濃に侵攻。岩村城を包囲された遠山氏は降伏し、東美濃は武田家に従属することになります。

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さらに1557年、遠山氏の後継者争いに武田信玄は武力介入し、遠山景任が新当主となり、武田家の影響力をさらに強めます。その一方で遠山景任は勢力を拡大してきた織田信長とも友好関係を築き、織田信長の叔母にあたるおつやの方と結婚し、縁戚関係を結びます。織田と武田の両方に従属することとなった遠山景任は、その立場を利用して両家の取り次ぎのような役割も担います。


当主の死により織田信長の叔母が「おんな城主」に


しかし、1571年に遠山景任が病死すると子のいなかった遠山家は断絶。この機に東美濃の支配を狙う織田信長は自身の五男・織田勝長を遠山家の養子として送り込みますが、まだ幼少であったため、遠山景任の妻であるおつやの方が後見役となり、実質的に「おんな城主」となります。(ちなみに織田勝長はのちの本能寺の変で兄の信忠ととも死亡)

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一方武田信玄もこれを黙って見過ごさず、1572年に秋山伯耆守信友の軍勢を岩村城に派遣。おつやの方は籠城して抵抗しますが、元々武田派の家臣が多いこともあり、秋山信友はおつやの方を説得。自身の妻に迎えることを条件に開城させ、以降は秋山信友が岩村城主となります。


長篠の戦い直後に織田信忠が岩村城に侵攻



その後は秋山信友による東美濃支配が続きますが、1575年に武田勝頼が長篠の戦いで大敗すると、織田信長は岩村城奪還のために嫡男・織田信忠を総大将とする軍勢を派遣。秋山信友も善戦し、5ヶ月に渡る籠城戦が繰り広げられます。

武田勝頼も敗戦後の厳しい状況下ではあるものの、軍勢をまとめて岩村城救援のために派兵しますが、到着が間に合わず落城し、秋山信友とおつやの方は長良川の河原で磔にされました。再び織田家の城となった岩村城は織田信忠軍団の前線基地として河尻秀隆が城主となります。

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1582年に織田信長の甲州侵攻が始まると、織田信忠軍団の部将として河尻秀隆もこれに参加。武田家滅亡により、河尻秀隆は甲府に移封となり、代わって森蘭丸が岩村城主となりました。(3か月後河尻秀隆は武田遺臣の蜂起により死亡)


森蘭丸・長可・忠政が城主を務めた森氏の時代


同年森蘭丸が本能寺の変で死亡すると、北信濃から撤退した兄の森長可が岩村城主に。1584年に小牧長久手の戦いで森長可が討ち死にすると、弟の森忠政が城主となります。中世山城だった岩村城がこの時代に現在の形に大改修されたと言われています。

17年間森家の支配が続いた後、1599年には徳川家康の命により北信濃・海津城の田丸直昌と領地交換となり、田丸直昌が岩村城主となります。

しかし、翌1600年の関ヶ原の戦いで田丸直昌は西軍に付いたため改易。以降、江戸時代は岩村藩として松平氏の所領となり、明治維新後の廃城令により岩村城も破却されました。

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見事な石垣が残る現代の岩村城址



現在の岩村城は建物はすべて解体されて残っていませんが、ひな壇状の石垣はきれいに残っており、これがマチュピチュと言われる所以です。

山城なので見学の際は山の麓にある岩村歴史資料館から歩いて登ることになります。下図の案内板に地図があるとおり、麓から本丸は一本道で、途中にいくつかの砦や門をくぐり抜けて、頂上の本丸まで登っていくコースになります。

ただ、実は本丸に隣接して「出丸」というものがあり、現在は駐車場になっています。城山の裏手から車でダイレクトにアクセスすることもできるので、一見楽そうに見えますが、築城当時は攻め口として想定していないぐらいの急峻な山道です。車は通行できるとはいえ、なかなかハードなオフロードコースなので、運転に自信がない人だと危険かもしれません。。

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なお、歴史資料館には1718年に石垣修理のために幕府に申請した絵図が展示されていますが、土木工事の図面だからかめちゃくちゃ詳細に書き込まれていて非常に興味深いものがあります。ぜひ岩村城に行く際には見てみてください。

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岩村城址の旅行ガイド(トリップアドバイザー)
かつてはマニアックな山城でしたが、竹田城ブームの影響か口コミも盛り上がりを見せています。

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