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長野県小諸市にある小諸城。島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」で知られ、日本100名城にも選定されています。

1487年に大井氏が築城した鍋蓋城が前身と言われていますが、現在の小諸城は武田信玄により1554年に築城されました。東信州支配の拠点として、高坂昌信や飯富虎昌など重臣が城代を務めたようです。


滝川一益の撤退後北条氏直が小諸を支配



1582年3月に武田家が滅亡すると小諸城は滝川一益の支配下に置かれます。しかし、同年6月に本能寺の変が起こり、続く神流川の戦いで破れると滝川一益は上野を撤退して、小諸城に入ります。

ここで滝川一益は旧武田家の信濃先方衆・依田信蕃(よだのぶしげ)と交渉し、佐久郡・小県郡の国衆から人質を集めて木曽に向かい、木曽義昌と交渉のうえ人質を木曽義昌に引き渡すことを条件に無事通行し、伊勢長島まで撤退しました。(この時の人質には真田昌幸の実母も含まれていました)

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以降小諸城は依田信蕃が城主となりますが、翌7月に北条氏直が大軍を率いて碓氷峠を越えてくると、依田信蕃は小諸城を放棄してゲリラ戦態勢に入ります。


天正壬午の乱を経て依田信蕃が小諸城主に


小諸城は北条氏直により接収され、重臣の大道寺政繁が城主となります。その後北条氏直は若神子城に入り、徳川家康と対峙しますが、後方では依田信蕃がゲリラ戦により補給路を断ったり、真田昌幸ら北条方に付いた国衆たちを調略して徳川方に引き入れたりと暗躍。

結果、北条方の旗色が悪化し、徳川家康と和睦。甲斐・信濃からは撤退します。これにより小諸城の大道寺政繁も退去し、代わって再び依田信蕃が徳川家康の家臣として城主を任されます。

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↑小諸城の本丸跡に建てられた懐古神社。1881年の創建。

翌1583年、依田信蕃は北条方の国衆の城を攻めている際に討ち死し、家督を継いだ息子の依田康国が小諸城主となります。この時まだ13歳でしたが、信蕃を高く評価していた徳川家康は「康」の一字を与えた上で、大久保忠世を烏帽子親として元服させたそうです。

依田康国は徳川家康の家臣として1585年の上田城攻めで初陣を飾り、その後1590年の小田原攻めの際には北国勢として参戦。大道寺政繁の松井田城攻略などに加わりますが、不運にも上野で討ち死します。


小田原での武功により仙石秀久が大名復帰



戦後、徳川家康の関東入封に伴い、依田家も上野の藤岡城に移ります。一方小諸城は依田家に代わり、豊臣秀吉子飼いの武将・仙石秀久が城主となります。

仙石秀久は豊臣秀吉に少年の頃から仕える最古参で、1585年の四国攻めで武功を上げて、讃岐の高松城主となっていましたが、翌1586年の九州攻めでは島津家久に大敗を喫し、さらに軍監の職務を放棄して、諸将を差し置いて逃亡。防戦することもなく高松城に独断で退却してしまったことから改易、高野山蟄居となっていました。

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↑小諸市立藤村記念館。島崎藤村は1899年から6年間小諸で英語教師として暮らしていました。

挽回を図りたい仙石秀久は1590年の小田原攻めの際に、徳川家康に陣借りして参戦。山中城攻めなどで武功を上げて、豊臣秀吉の家臣として復帰。所領として小諸城が与えられました。

そういえば、板垣信方の孫・乾正信も小田原攻めで山内一豊に陣借りして参加していました。浪人衆にとっては再就職のためのビッグチャンスだったのでしょう。


関ヶ原の戦い後、仙石秀久が小諸藩の初代藩主に



1600年の関ヶ原の戦いでは陣借りの恩がある徳川家康に味方し、徳川秀忠の上田城攻めの際には本陣として小諸を提供しています。

以降、仙石秀久は小諸藩の初代藩主となり、1622年に上田城に移封となるまで仙石氏による統治が続きました。この時代に小諸城の改修や城下町の整備が進められましたが、一方で重税や過酷な賦役により農民の逃散が相次ぎました。(wikipediaによると一郡丸ごと逃散する事件も起きたとか)

1614年に仙石秀久が死去すると、三男の忠政が跡を継ぎ、離散した農民たちの帰還を促すことに尽力したそうです。

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仙石秀久という人物はゴマスリとハッタリで実力以上に出世した典型的な成り上りという感じで、なんだか現代にも通じそうな小人物です。戸次川の戦いではこの人の独断専行で、長宗我部元親の嫡男・信親が討ち死してますし、単に無能なだけでなく、迷惑な無能者です。最も上司にしたくないタイプ。。 
 

穴城の異名を持つ「城下町より低い城」


現在の小諸城は「懐古園」という市営公園になっていて入場料を取られます。動物園があったり、美術館があったり、桜の名所だったりと、市民の憩いの場になっていますが、石垣と三の門のほかは大した遺構は残っていません。

しかし、小諸城の最大の特徴はその特殊な地形です。
通常の城は平城だとしても、周囲よりも高い位置に縄張りされますが、小諸城は「穴城」の異名のとおり、城下町より低い位置に城があります。

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これだけ聞くと守備に不利なように思われますが、城の周りは深い谷になっていて、想像を越える断崖絶壁です。高さはなくともこの谷があれば、城として十分機能しそうです。ただ、城下町から城を見下ろす形になるので、鉄砲の時代には守りきれたとしても、射程距離の長い大砲が登場するとダメだろう、と何かのサイトで分析されていました。たしかに。。

≪関連情報≫

懐古園の旅行ガイド(トリップアドバイザー)
歴史スポットとしてではなく、お花見スポットとして口コミ多数。直接は関係ないと思いますが、真田丸ブームで賑わっている模様。

なるほど秘湯の宿である。
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